『秘密の花園』はイギリス出身の女流作家フランシス・ホジソン・バーネットが生んだ名作。
孤独な少女メアリが初めての友だちと出会い、「秘密の庭」の復活を通じて成長していく様子を描いている。
今回は、光文社古典新訳文庫刊の土屋京子翻訳『秘密の花園』をもとに、あらすじとみどころをお伝えするよ。
この記事で紹介する本
翻訳別比較
小説『秘密の花園』27作品比較。文庫や児童文庫、映画の特徴まとめ
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この記事でわかること
- バーネット作の小説『秘密の花園』のあらすじとみどころ
- バーネットと『秘密の花園』
小説『秘密の花園』とは?
『秘密の花園』(原題”The Secret Garden”)は、イギリス出身の女流作家フランシス・ホジソン・バーネットが1911年に発表した小説。
日本では1917年(大正6年)、岩下小葉の訳で『秘密の花園』と題して実業之日本社より刊行された。
1886年発表の『小公子』(原題”Little Lord Fauntleroy”)、1905年発表の『小公女』(原題”A Little Princess”)とならび、バーネットの代表作として現在まで親しまれている。
フランシス・ホジソン・バーネット(作)
1849年、イギリス・マンチェスターに生まれる。
1865年16歳のときアメリカへ移住し、のちに帰化する。
1868年から作品を発表し始める。
1873年に結婚。子どもを二人もうけるが、長男ライオネルが成人前に病死。
1886年に『小公子』を発表し、またたく間に人気を得て、亡くなるまでに40冊以上の作品を発表する。
1911年に『秘密の花園』を発表するが、生前は反響は大きくなかった。
1929年、ニューヨークにて死去。
参考:Wikipedia
代表作(小説)
土屋 京子(翻訳)
翻訳家。
1956年、愛知県出身。
東京大学教養学部卒業。
訳書『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著、講談社、1993年)『EQ~こころの知能指数』(ダニエル・ゴールドマン著、講談社、1996年)がベストセラーになるほか、英米児童文学・古典の翻訳も多く手掛けている。
参考:Wikipedia
代表作(翻訳)
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登場人物
メアリ・レノックス:両親から愛されずにわがままに育った少女。両親の他界によりインドからイギリスのクレイヴン叔父に引き取られる。10歳。
ディコン:屋敷の近くに住む田舎の少年。心優しく動物と心を通わせることができる。12歳。
コリン:屋敷に住むメアリのいとこ。病気がちで癇癪持ちでわがまま。10歳。
アーチボルド・クレイヴン:メアリの叔父でコリンの父親。大きなお屋敷を持つ。最愛の妻を亡くして以来、無口で留守がちになる。
メドロック夫人:クレイヴンの屋敷の家政婦長。そっけなく厳しいが優しいところもある。
マーサ:クレイヴンの屋敷の家政婦。ディコンの姉。明るい性格でメアリと仲良くなる。
ベン・ウェザースタッフ:クレイヴンの屋敷の老庭師。無愛想だが自然を愛し、メアリを見守る。
スーザン・サワビー:ディコンとマーサの母親。メアリとコリンからも母親のように慕われている。
小説『秘密の花園』あらすじ
一言あらすじ
両親が他界し孤児となったメアリ・レノックスは、イギリス北部に住む叔父の屋敷に引き取られる。
不器量でわがままな性格のメアリは、ある日「秘密の庭」を見つけひきつけられる。
動物と話せる少年ディコン、いとこのコリンとともに「秘密の庭」を再生させることに夢中になったメアリは、明るく変わっていく。
このあとは詳しいあらすじ。(ネタバレあり)
感想から読みたいならこちら(後ろへとびます)→→本を読んだ感想
1.愛されないメアリ
メアリ・レノックスがミッスルウェイト屋敷に引き取られるまでの経緯。
メアリが9歳のとき両親がコレラで亡くなり、叔父クレイヴン氏のいるイギリスに渡る。
2.ミッスルウェイト屋敷へ
ロンドンの港にいたミッスルウェイト屋敷の家政婦長メドロック夫人に連れられ、メアリは汽車で北へ向かう。
駅から屋敷へ向かう馬車の中で、メアリはムーアの風景に圧倒される。
3.マーサ、ベン・ウェザースタッフと出会う
翌朝メアリは若い家政婦マーサと出会う。
メアリはマーサに反発するが、明るく気さくなマーサと打ち解けていく。
年老いた庭師ベン・ウェザースタッフやかわいいコマドリと出会う。
4.「秘密の庭」を見つける
メアリはクレイヴン氏の妻が亡くなってから閉ざされている「秘密の庭」のことを聞く。
ある日メアリは「秘密の庭」の鍵を見つけ、コマドリに導かれて庭に足を踏み入れる。
メアリは誰にも秘密で庭をきれいにすることにする。
5.ディコン、クレイヴン氏と出会う
メアリはマーサの弟ディコンと出会い、すぐに打ち解ける。
動物や草花と心を通わせるディコンを「秘密の庭」に案内し、一緒に作業することにする。
その日の午後、メアリは初めてクレイヴン氏と面会する。
クレイヴン氏は、メアリの「好きな場所で庭をつくる」「家庭教師はまだよこさない」などの要望をすべて受け入れてくれる。
6.コリン
ある夜メアリは屋敷の中で誰かの泣き声を聞き、たどっていってみると男の子を見つける。
男の子はクレイヴン氏の息子でメアリのいとこにあたるコリンだった。
メアリとコリンはすぐに打ち解け、翌日からメアリはコリンのもとを毎日訪ねおしゃべりをするようになる。
7.ヒステリーVSかんしゃく
ある日メアリはコリンの部屋への訪問を断り、けんかになる。
その晩コリンがヒステリーを起こし、自分にある背中のこぶを悲観して泣き叫ぶ。
メアリがコリンの服をはがすと、そこにこぶはなかった。
病気は思い込みであることがわかり、コリンは安堵する。
8.3人の秘密
ディコンが子ひつじやキツネなどを連れてメアリとコリンのもとを訪ね、コリンは夢中になる。
数日後、メアリとディコンはコリンの車椅子を押し「秘密の庭」に入る。
コリンは感動し、素晴らしい午後を過ごす。
9.ベン・ウェザースタッフ
3人が庭にいるところをベン・ウェザースタッフに見つかる。
ベンからバカにされたと感じたコリンは車椅子から立ち上がり、一同を驚かせる。
その日コリンは1メートルほど歩いてみせるが、このことは4人だけの秘密にする。
10.庭の再生
コリンは毎日のように庭を訪れ、歩く練習をする。
ディコンの秘密を応援する母親はディコンに焼き立てパンをもたせ、育ち盛りの子どもたちを喜ばせる。
コリンが立って歩けることを知らない医者や看護師たちは、コリンがみるみる元気になっていく姿に首を傾げる。
11.ディコンの母
ディコンの母が庭を訪れる。
ディコンの母親はコリンが母親そっくりであること、予想以上に元気に成長していることに感動する。
コリンとメアリもディコンの母親を自分の母親のように慕う。
12.クレイヴン氏の帰宅
ノルウェーで療養中のクレイヴン氏は、ディコンの母親からの手紙を読みミッスルウェイト屋敷に帰る。
そこでクレイヴン氏は我が子がはつらつと走り回る信じられない光景を目の当たりにする。
小説『秘密の花園』感想
『秘密の花園』を読んで感じたのは、子どもたちが笑ったり泣いたりする背後にある「大いなる自然」の力。
物語では主人公メアリと少年コリンのダイナミックな成長が見どころなんだけど、その土台になっているのはとってもシンプルなことなんだよね。
自然のリズムに合わせた日常の中で、子どもたちは友情を育み、よく笑いけんかもし、「魔法」みたいなことも体験する。
『秘密の花園』では「自然」は脇役ではなく、子どもたちと一緒に変化していく大切な存在。
そこには、ありふれているようでひとつひとつが奇跡のような生命力が宿っている。
『秘密の花園』ポイント
可愛くなさすぎのメアリ
初め、主人公メアリ・レノックスの可愛くなさっぷりにびっくりする。
その描写は、物語の最初の一文から強烈。
メアリ・レノックスが叔父の住む広大なミッスルウェイト屋敷に送られてきたとき、十人が十人、こんなにかわいげのない子供は見たことがないと言った。たしかにそのとおりだった。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
どういうこと?と思って読んでいくと、第1章のメアリのふるまいが度を越えてる。
インド人のアーヤ(乳母)に対する態度もひどい。
いつものアーヤがもどってきたら、そういう言葉を投げてやるつもりだった。
「ブタ! ブタ! ブタの娘!」
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
他にも、容姿も性格も「かわいげがない」メアリの描写をあげると次の通り。
かわいくないメアリ
- 小さな顔、貧相な体格、髪が頭に張りついている
- 髪も顔も黄色っぽい
- 病気がちで不機嫌
- かんしゃくを起こして召使を殴ったり蹴ったりする
理由があったとしても、メアリのわがままっぷりが予想を上回ってくるので、だんだんいらついてくる。
親の愛を知らない
冒頭のメアリの描写を読むと「わがまま」以外にも決定的な特徴がある。
それは「寂しさや悲しみの感情がない」という点。
長くお世話してきた乳母や両親が死んでも、泣くことはおろか「寂しい」という感情すらわいていない。
メアリは自分のことしか頭にない子供で、今回もやはり自分のことしか考えなかった。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
ここまで読むと、メアリが育ってきた環境がいかに冷たいものだったか、ということに思いが向く。
父親は仕事が忙しく、母親は社交にしか興味がない。
ほったらかされたメアリは、インド人の召使にご機嫌伺いばかりされて育った。
要は、メアリを本当に愛してくれる人は周りにいなかったんだよね。
実際メアリは、乳母や両親がコレラで死んだ後、誰もいなくなった屋敷に一人取り残されているところを発見される。
存在すら忘れられるくらい、メアリにとって「愛されない」ということは当たり前のことだった。
そんなメアリが自分のことしか考えないのも、身近な誰かが死んでも悲しくないのも、自然なことだったんだよね。
「つむじまがりのメアリ嬢」とは?
物語では、メアリが一時的に預けられた牧師の家で砂遊びをしていると、子どもたちに「つむじまがりのメアリ嬢」とからかわれる場面がある。
これはイギリスに伝わる童謡(ナーサリーライム/マザーグースと呼ばれている)で、18世紀には存在したと言われている。
「メアリ嬢」のモデルには諸説あって、16世紀のイングランド・アイルランド女王「メアリー1世」、16世紀のスコットランド女王「メアリー・ステュアート」という説がある。
その歌の内容は次の通り。
つむじまがりのメアリ嬢
お庭はどんなあんばいで?
銀の鈴と、貝がらと
マリーゴールド並べて植えちゃった
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
歌の内容と物語がぴったり一致してる。
このときメアリはからかわれたことを気にしていて、後に出逢うディコンに「鈴みたいな花があるか」と聞いている。
参考:Wikipedia
メアリの変化
孤児となったメアリは、イギリス・ヨークシャーにある叔父の屋敷に引き取られる。
初めの日に見た草原「ムーア」が大嫌いだったメアリだけど、出会う人や環境に刺激を受けてどんどん変化していく。
刺激1:召使らしくないマーサ
メアリが屋敷に到着した翌朝から身の回りのお手伝いをするのが、家政婦のマーサ。
朗らかな田舎の娘のマーサは、メアリの横柄な態度にびくつくこともなく対等に接する。
服を自分で着られないメアリを見たマーサの反応がおもしろい。
あまりびっくりしたので、つい強いヨークシャーなまりが口をついて出た。
「おめ、服ぐれ着られねの!?」
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
インドのおとなしい召使しか知らなかったメアリは、初め飾らないマーサの態度に激怒する。
だけどおかげでメアリはたまっていた感情を出すことになり、マーサの前で激しく泣きじゃくるんだよね。
心細かったはずのメアリが、初めて10歳の子どもらしい感情をぶちまける瞬間にほっとする。
他にも朝食を残すメアリにマーサがあきれたり、二人の正反対の性格のかけ合いは見どころ。
刺激2:無愛想なベン・ウェザースタッフ
メアリがひとりで屋敷の敷地内を歩いているときに出会うのが、庭師の老人ベン・ウェザースタッフ。
年齢も性別も立場もまったく違うけれど、二人はどこか共通するものを感じ合う。
それをベンがはっきりと言葉にする場面が印象的。
おめえとわしは、そっくりだ。似た者どうしだな。おめえもわしも不細工だし、器量に負けず愛想も悪い。気立ても悪い。おたがいにな
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
メアリがこの言葉に怒りを感じなかったのは、ベン・ウェザースタッフに親近感をすでに持ち始めていたから。
仏頂面のメアリもそのまま受け入れ、「自分とそっくり」とまで言う人は初めてだった。
それまで自分の容姿について考えたことすらなかったメアリは、この言葉を聞いて初めて容姿について意識する。
またメアリは、ベン・ウェザースタッフにだけは弱い部分も無邪気な部分も出している。
ときにベン・ウェザースタッフにけむたがられるほどしつこく質問しまくるメアリがかわいい。
刺激3:外で遊ぶ習慣
マーサやベン・ウェザースタッフとの出会いも大きいけど、メアリが変わった一番の理由はやはり「外で遊ぶようになった」からだと言える。
初めは部屋にいるのが退屈で、しかたなく外に出ていくメアリ。
ムーアから吹きつける強い風は大きらいだったけど、身体には良かったんだよね。
具体的に変わったのは次の通り。
メアリの変化
- 外を走ったり歩いたりして血のめぐりがよくなる
- 強い風に逆らって歩くうちに肺が強くなり、頬に赤みがさす
- 空腹という感覚を知り、食欲が出てくる
- 肉がつきはじめ、髪もふわっとしてくる
冒頭でメアリの不器量で生意気さがしっかり描かれているからこそ、この変化が奇跡に思える。
コマドリとのやりとりの場面は、実際に笑い声が聞こえてくるみたい。
「わたし、あんたのこと好きよ! あんたのことが好きよ!」メアリは声をあげながら散歩道を駆けた。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
この時点ではメアリに一緒に遊ぶ友だちはいないし、両親からもらえなかった愛をもらっているわけでもない。
もちろん淋しいときもあるけれど、そんなときは外を走って気分を変える。
ひとりぼっちという境遇は変わらなくても、豊かな自然の恩恵を受けて日々成長する様子が伝わってくる。
「秘密の花園」とディコン
だんだんといきいきしてきたメアリがさらに変わっていくきっかけとなるのが「秘密の花園」。
毎日時間を忘れて庭いじりに熱中するメアリを見ていると、「自分だけの秘密の場所」にいるときのドキドキ感がよみがえってくる。
まもなく少年ディコンも加わり、協力して「秘密の花園」を再生させていく。
自然の一部のようなディコン
ディコンはマーサの弟で、12歳。
鳥や動物の習性や植物の名前などなんでも知っているのはもちろん、その在り方が印象的。
「人と自然」ではなく「自然の一部」として存在しているみたい。
さっぱりとしていながらあたたかみがあり、メアリの友だちのコマドリとも心を通わせている。
近寄ってみると、ディコンはヒースや青草や木の葉の清潔で新鮮なにおいがした。ディコン自身がそういうものでできている感じさえした。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
もともと警戒心が強いうえに「男の子」と話すのも初めてだったメアリも、ディコンにはすぐに打ち解ける。
メアリが最大の秘密である庭を見せたのも、ディコンが人間より自然に近い存在感であったこと、だからこそ「ディコンなら秘密を守れる」という直感があったからなんだよね。
翻訳によってまったく違うのがおもしろい。
メアリとディコン
ひと目でディコンを好きになったメアリは、ディコンに対して「好き」という気持ちを素直に伝える。
もともと心がオープンなディコンも、メアリの気持ちにまっすぐ答える。
「あんた、あたしのこと好きかい?」メアリは聞いた。
「あいよ!」ディコンは真っ正直な顔で答えた。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
こんなに素直に「好き」を伝え合う二人だけど、この先「恋」という感情になることはないと感じる。
ディコンから感じるのは、自然や人に対する広く優しい愛。
分け隔てない愛情がさらさらと気持ちよく流れていて、特定のものに対する熱情や執着みたいなものではないんだよね。
もともと大家族でわけあって暮らしていることもあって、「ぼくの」「ぼくが」という利己的な欲が感じられない。
一方で、メアリはこれまでひとりぼっちで自分のことだけ考えて生きてきた。
「人の愛」というものを知らずに育ってきたメアリにとって、ディコンは「愛」を優しく教えてくれる貴重な存在だったんだと思う。
このあと登場するコリンは執着と熱情のかたまりみたいな少年。
二人の男の子の質が真逆すぎておもしろい。
コリン
物語中盤、メアリは同じ屋敷に住む男の子コリンと出逢う。
境遇も気質も似たところのある二人は、激しくぶつかり合いながらも心を通わせていく。
びっくり。。
わがままなコリン
コリンはクレイヴン氏の一人息子で、メアリと同じ10歳。
このコリン、初めの頃のメアリに勝るとも劣らないわがままっぷり。
周りの人には命令して従わせるのが当たり前。
自分の思い通りにならなければすぐにかんしゃくを起こす。
そんなコリンだけど、メアリにだけは拒否反応を起こさず、話し相手になってほしいと望む。
メアリとコリンの共通点
コリンがこのようにわがままになったのは、メアリと似たような背景がある。
メアリはそんなコリンの背景までは考えてないけれど、なんとなくコリンの姿に過去の自分が重なって見えていた。
「コリンは自分と似ている。そしてコリンはめっちゃわがままだ。」という2つの事実をメアリはわかっている。
だからこそ、メアリはコリンに対して親しみと反発、両方感じていたんだよね。
コリンにとって、機嫌を取ることはせず堂々と渡り合うメアリは新鮮だったに違いない。
外の世界のこともよく知っているメアリは、どうしても自分のものにしたい存在だったと思う。
本気のぶつかり合い
物語で一番心動かされたのが、コリンとメアリが二度にわたって本気のぶつかり合いをする場面。
暴れたくなるコリンの心情がわかるからこそ、読んでいて泣けてくる。
恐怖が身体にあらわれる
この場面では、「病は心のあらわれ」ということがコリンを通してよく描かれている。
コリンにはもともと「自分は背中にこぶができてもうすぐ死ぬ」という思い込みと恐怖があった。
この思い込みが身体に現れ、病弱でやせ細り、歩くこともできなかったんだよね。
他にも、かんしゃくやヒステリーがこの病的な恐怖から起きることもコリンはわかっていて、メアリにだけは打ち明けている。
一方メアリからしてみたら、「コリンの話はただの思い込みなのでは?」という気持ちがある。
けんかの中でメアリが怒りにまかせてぶちまけた言葉は、よく的を得ている。
何かあったとしても、そんなもの、ヒステリーのかたまりだわよ。 ヒステリーはかたまりになるんだから。 あんたの背中なんか、どっこも悪いとこはないわよ。 ただのヒステリーよ!
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
恐怖を「本当に起こること」としてとらえるか、「ただの思いこみ」として一蹴するか。
恐怖を信じ続けていると内側にたまり、身体の症状としてあらわれる。
裏を返せば、それが「ただの思いこみ」だとわかれば症状は消えていく、ということ。
コリンは、メアリとのぶつかり合いによって「死の恐怖」がただの妄想だとわかり、安堵した。
その瞬間から「わがままなコリン」はいなくなって、かんしゃくもヒステリーもなくなったんだよね。
メアリの負けん気
印象的なのが、メアリがコリンに対して一度も気迫で負けてないところ。
大人たちはコリンがかんしゃくを起こさないように機嫌を取るのに、メアリはコリンにさらなるかんしゃくで対抗する。
コリンが「自分は病気だ、もうすぐ死ぬ」と言っても、思いやりを持ち合わせていないメアリが返す言葉は辛辣。
そんなこと、わたし信じないから! あんたがいい人なら、そういう話もほんとうだと思うかもしれないけど、あんたなんかひねくれ者だから!
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
他にも「死んじゃえばいいのよ!」とか、道徳心のある子なら絶対に言わなそうな、めちゃくちゃな言葉をメアリは言いまくる。
不思議なことに、コリンはそういうメアリの言葉を怒りと同時に嬉しく感じるんだよね。
コリンが求めていたのは「死の恐れ」を真っ向から否定してくれる人。
そこには何の根拠もいらなくて、ただ「本気」があれば伝わる。
メアリがうわべの思いやりからではなく、本気の怒りをぶちまけたからコリンに伝わったんだよね。
メアリとディコンの成長
メアリ自身も、コリンとの関わりを通して成長を遂げている。
コリンが寝つくまでお話をしてあげたり、「秘密の花園」をコリンにも見せてあげようという気持ちになったり。
一番に自分のことしか考えてこなかったメアリが、コリンを元気づけるために大事なものを共有する気持ちになっているのがすごい。
そして、妖精のようなディコンはここでも優しい存在感を出している。
コリンに心から同情し、元気づけるためにどんなことでもしようと、動物を見せに連れてくる。
そんな二人のおかげで、コリンは好奇心いっぱいで「春」を見に出かける気になるんだよね。
「ぼく、見に行く!」コリンが声をあげた。「絶対に見に行くんだ!」
「あいよ、見に行こうね」メアリがひどく厳粛な顔で言った。「思いついたら、早いがいいさ!」
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
コリンが子どもらしい元気を取り戻し、メアリは成長してディコンとともにサポート側にまわっているのが感じられる。
秘密の花園の「魔法」
物語全体をとおして、「秘密の花園」が子どもたちに与えた影響はとても大きい。
そこには、子どもが潜在的に求めているものがつまっていた。
自分だけが知っている秘密の場所。
動物や植物が見せる季節の移り変わり。
太陽を浴び、土に触れる喜び。
子どもたちにとって「秘密の花園」は単なる場所ではなく、心の栄養となる「触れ合い」「癒し」「成長」「学び」「思いやり」が体験できる、生きた存在だったんだよね。
コリンの覚醒
「秘密の花園」の恩恵を最も豊かに受けとったのは、コリン。
コリンは花園に入ってから、二度も劇的な「覚醒体験」をするんだよね。
一度目はコリンが花園の中に初めて入った瞬間、「自分が元気になる」と確信する。
コリンは宣言どおり、この日のうちに立って歩くという奇跡を起こす。
二度目は何日か経ったとき、コリンにふと初日の覚醒体験がよみがえる。
運動までできるようになったコリンは、あのときの確信が現実になりつつあることが実感としてあふれるんだよね。
コリンは2回とも同じセリフをいう。
ぼくはずっと生きる。ずっとずっと生きるんだ!
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
セリフはシンプルだけど、コリンがそのとき発していた言葉を超えるエネルギーは、その場にいた全員を感動させる。
この場面、みんなで讃美歌を歌うところまですべてが完璧で、至福感がただよっている。
ももちんはコリンのような覚醒体験をしたことがないので、とても気高く近寄りがたいものに感じた。
言葉ではどうしても伝わらない、その場にいる人しか感じられないものがこの場面で描かれている。
ディコンが歌う讃美歌はどんな歌?
引用元:Praise God From Whom All Blessings Flow (Thomas Ken Doxology)/Bekka39
コリンが覚醒したとき、その場で起こっていることをいち早く感覚で理解したのがディコン。
そこでディコンが歌うのは、”Praise God From Whom All Blessings Flow”という讃美歌。
これは、17-18世紀のイングランドの聖職者トマス・ケンが、宗教教育のために書いた讃美歌の一節。
日本では「あめつちこぞりて、かしこみたたえよ、みめぐみあふるる、父、み子、みたまを。」の歌詞で知られている。
参考:Wikipedia
「魔法」の力
コリンは、覚醒とその後立って歩けるようになった奇跡的体験を「魔法」と呼んだ。
そして、「魔法」の力を理解して自ら使えるようになるための実験を始める。
自然の法則
児童文学で「魔法」というと魔法使いが使う「魔法」を思い浮かべるけど、『秘密の花園』では違う。
今作での「魔法」は自然の営みのことを指している。
コリンが初めて立ったとき、ディコンに「きみが魔法をかけたのか?」と聞くと、ディコンは答える。
「あんたが自分で魔法をかけたんだ。 こいつらが地面から顔を出すのと同じ魔法さ」ディコンはそう言って、ごついブーツで草むらにかたまって咲いているクロッカスに触れた。
引用元:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
コリンが自分の足で立ったという奇跡は、「秘密の花園」で毎日起きている自然の奇跡と同じようなもの。
「魔法」とは、科学のように研究可能なものでありながら、同時に解明不可能な神秘でもある「生命の力」のことなんだよね。
意志の力
コリンは自らに起こった「魔法」をそのままで終わらせず、理解しようと実験を始める。
具体的には、次のことをやってみる。
「魔法」の実験
- 実現したい「身体が強くなる」という望みを定める
- 毎日望みを繰り返し唱える
- 毎日庭を歩いて一周する
- 身体を強くするための体操をする
コリンにとって「魔法」は、ただ願って待っていて実現するような「他力本願」なものではなかった。
自分には理解できない「魔法」の力を実際に取り扱えるようになるために、意志を強く持ち、口に出して、相応の努力を続けたんだよね。
その結果「魔法」の力が働き、コリンはどんどん身体が強くなっていく。
その過程は、種が芽を出し花を咲かせるまでの過程と重なる。
種(望み)があっても、水や日光(意志と努力)が十分でなければ育たない。
雑草(無理だという思い)があってもなかなか育たない。
そのすべてが条件としてそろえば、見事な花が咲き、望みも実現するんだよね。
見守る大人たち
孤児で無愛想だったメアリが成長し、次いでヒステリーの発作をおこしていたコリンも大変化をとげた。
その背景には自然とのふれあい、子ども同士の友情、そして見守る大人たちの存在があった。
物語のなかでメアリとコリンの成長の鍵をにぎる大人たちを紹介するよ。
クレイヴン氏
アーチボルト・クレイヴンはたまにしか登場しないけど、その存在感は大きい。
最愛の妻を亡くした悲しみを十年間も抱え、息子コリンには近寄ろうともしない。
だけど、コリンを愛していないわけではない。
悲しみのほうが勝ってしまい、母親そっくりのコリンの顔を見られないんだよね。
物語ではその苦悩も描かれている。
コリンがそんな父を恨みもせず、元気な姿を見せたいと切に望んでいるところがいじらしい。
クレイヴン氏は、メアリとも積極的に関わろうとはしないけれど、必要なすべてを与える。
大人特有の子どもへの決めつけがなく、メアリの希望を聞いて対処してくれたことから、本来のクレイヴン氏の人柄がうかがえる。
人嫌いのメアリも、初対面からクレイヴン氏を「いい人」だと感じている。
スーザン・サワビー
スーザン・サワビーはディコンとマーサの母親で、他にも10人の子を持つ。
実際に登場するのは物語の終盤なんだけど、それまでにマーサやディコン、他の大人たちの口から何度も話題にあがっていて、皆から好かれている。
彼女の口から出てくる言葉はどれも子育ての経験からくるもので、真理をついている。
クレイヴン氏への助言も、タイミングと内容が的確。
いつでも子どもの味方で、秘密の花園を守る子どもたちを応援する姿は優しく朗らかで、太陽のような存在。
メアリとコリンもスーザンのことが好きで、母親のように思っている。
感想おさらい
バーネットと『秘密の花園』
『秘密の花園』が生まれた背景や、作品の評価について書いていくよ。
バーネットが『秘密の花園』に反映したもの
バーネットの代表作は、今作『秘密の花園』のほかに『小公子』(原題”Little Lord Fauntleroy”1886年)『小公女』(原題”A Little Princess”1905年)が挙げられる。
この三作の主人公には次のような共通の設定がある。
バーネット作品主人公の共通点
- イギリスの良家の生まれ(『小公子』セドリックは伯爵の孫、『小公女』セーラは資産家の娘)
- 異国からイギリスに渡る(『小公子』セドリックはアメリカ、『小公女』セーラはインド)
- 親を亡くす
この設定にはバーネット自身の体験が反映されている。
バーネットはイギリスに生まれ育ち、幼少期に父を亡くし、自身は上流階級の私立学校に入るなどの経験をしている。
16歳のときにアメリカに移住し、生涯の大部分をアメリカで過ごした。
バーネット自身はバリバリ執筆業でお金を稼ぎアメリカのセレブになっていくんだけど、心には母国イギリスへの想いがあった。
作品の設定には、アメリカになじんだバーネットにはもはや遠くなりつつあった「憧れと懐かしのイギリス」が描かれているんだよね。
ちなみに、バーネットは40・50代のときにはイギリスのお屋敷「メイサム・ホール」で10年間を過ごし、再びアメリカに戻っている。
その際実際に敷地内の荒れた庭を再生させる作業もしていて、その経験が『秘密の花園』に反映されている。
参考:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
バーネット死後に再評価
1886年『小公子』、1905年『小公女』は、発表後またたく間にベストセラーとなったが、1911年『秘密の花園』の反響は『小公子』『小公女』ほど大きくなかった。
『秘密の花園』が世界で児童文学の名作として位置づけられるようになったのは、1960年代になってからだと言われている。
その理由は定かではないけれど、作品で描かれている主人公像が『小公子』『小公女』と『秘密の花園』ではあきらかに違うことも理由の一つに挙げられる。
『小公子』セドリック『小公女』セーラは初めから明るく逆境に負けずたくましく生きるけど、『秘密の花園』メアリは、初めは手のつけようがないほどわがままでひねくれた性格。
子どもがリアルに持っている複雑さを描いているのが『秘密の花園』の魅力なんだけど、発表当時はこの点が評価されにくかったのかもしれない。
文壇での評価は遅かったけれど、『秘密の花園』は多くの人にとって『小公子』『小公女』に勝るとも劣らない「愛読書」として挙げられていた。
『小公子』『小公女』は子どもが好むシンデレラストーリーだけど、『秘密の花園』は大人も共感する「リアル」が描かれている。
だからこそ世代・時代をこえて愛され続けているんだね。
参考:バーネット 土屋京子:訳『秘密の花園』/光文社古典新訳文庫、2006年
各出版社の『秘密の花園』
『秘密の花園』は角川文庫以外にも、たくさんの出版社から出版されているよ。
翻訳者もさまざま、読者の年齢層もさまざま。
次の記事で出版社別・特徴別におすすめの『秘密の花園』をまとめたので、参考にしてみてね。
小説『秘密の花園』27作品比較。文庫や児童文庫、映画の特徴まとめ
上段左より偕成社文庫/茅野美ど里訳/高田美苗絵/1989年岩波少年文庫/山内玲子訳/シャーリー・ヒューズ絵/2005年下段左より福音館文庫/猪熊陽子訳/堀内誠一画/2003年福音館古典童話シリーズ/猪 ...
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まとめ
『秘密の花園』本の感想まとめ。
孤独な少女メアリが初めての友だちコリン・ディコンと出会い、庭の復活を通じて成長していく物語。
どの出版社の『秘密の花園』を読もう?って迷ってるあなたは、次の記事を参考にしてね。
小説『秘密の花園』27作品比較。文庫や児童文庫、映画の特徴まとめ
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