農民画で有名な19世紀フランスの画家、ミレー。
今回は、山梨県立美術館収蔵のミレーの絵画を詳しく紹介していくよ。
こんな方におすすめ
- 山梨県立美術館のミレーの特徴を知りたい
- ミレーってどんな人か知りたい
- バルビゾン派について知りたい
山梨県立美術館とミレー
山梨県立美術館は、開館から40年、「ミレーの美術館」として親しまれている。
風景画や農民の姿を多く描いているミレーとバルビゾン派は、自然豊かな山梨によく合っているコレクションだなあ、と思う。
山梨県立美術館の基本情報については、こちらの記事をどうぞ。
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ミレーの生涯
ざっくり説明すると、ミレーは、19世紀のフランスで活躍した画家。
それまでの絵画の主題となり得なかった、自然とともに生きる農民たちの姿を主に描き、評価を確立した。
ミレー年表
年 | 出来事 | 制作された絵画(赤字は山梨県立美術館蔵) |
1814 | フランスノルマンディー地方の農村グリュシーで生まれる。 | |
1840 | サロン(フランスで当時開催されていた、大規模な公募展)で初入選する。 | |
1841 | ポーリーヌ・オノと結婚する。 | 《ポーリーヌ・V・オノの肖像》 |
1844 | 妻ポーリーヌ・オノが死去する。 | |
1845 | シェルブールで家政婦をしていたカトリーヌ・ルメールと出会う。正式に結婚したのは1875年。 | 《眠れるお針子》《ダフニスとクロエ》 |
1849 | バルビゾン村に移住する。 | |
1850 | 《種をまく人》がサロンに入選する。 | 《種をまく人》 |
1852 | フェイドーより「四季」連作の注文を受ける。 | |
1853 | ルソー、ミレーらの運動でフォンテーヌブローの森の一部が美観区域に指定される。 | 《落ち穂拾い、夏》《鶏に餌をやる女》 |
1857 | 《落ち穂拾い》がサロンに入選する。 | 《落ち穂拾い》《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》《晩鐘》 |
1858 | 《無原罪の聖母》 | |
1863 | 《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》がサロンに入選する。 | |
1864 | パリの銀行家トマの注文を受け、「四季」の連作にとりかかる。 | 《冬、凍えたキューピッド》 |
1865 | 《春、ダフニスとクロエ》 | |
1867 | パリの万国博覧会に《落ち穂拾い》《晩鐘》など出品。1等賞を得る。 | |
1870 | 《グレヴィルの断崖》 | |
1875 | 1月、妻カトリーヌと正式に結婚。同月、ミレー、バルビゾン村で死去する。 |
山梨県立美術館のミレー
ここからは、山梨県立美術館にあるミレーの作品の見どころを紹介するよ。
二人の妻をモデルにした絵画が見られる!
ミレーは生涯で2度結婚していて、妻をモデルとした作品を制作している。
山梨県立美術館では、最初の妻をモデルとした《ポーリーヌ・V・オノの肖像》と、二人目の妻をモデルとした《眠れるお針子》をどちらも観ることができるんだ。
病弱で華奢な印象のポーリーヌ、はじける生命力を感じられるカトリーヌ。
ミレーが愛した女性の、全く違うタイプの魅力を感じることができ、感慨深くもなる。
《ポーリーヌ・V・オノの肖像》
1837年にパリに出て、画家となるべく勉強した若いミレー。
何度か10代の頃に絵の勉強をしたシェルブールに戻り、生活の糧を得るために肖像画を多く手がけた。
山梨県立美術館が所蔵している肖像画、《ポーリーヌ・V・オノの肖像》のモデルとなったのは、ミレーの最初の妻となった女性。
この作品では、有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》と同じポーズを採用している。
二人は1841年に結婚したんだけど、3年後、あまり体の丈夫でなかったポーリーヌは、22歳で肺結核のためこの世を去ってしまったんだ。
そのときミレーは29歳。二人の間に子どもはいなかった。
《ポーリーヌ・V・オノの肖像》を見た人の感想
仕事終えて駆け足で山梨県立美術館。ミレーすげぇ。「種をまく人」チラ見のつもりが最初の「ポーリーヌ・V・オノの肖像」で度肝抜かれて釘付け。一枚の絵に複数時制が入り混じってそれが解説を読まなくてもわかる。ミュージアムショップのグッズにオリジナルのそのせつない感じが全然でてなくて残念… pic.twitter.com/cytpTOHUCH
— ニルンソ (@knnillssonn) 2018年6月22日
《眠れるお針子》
1845年にミレーは、シェルブールで家政婦をしていたカトリーヌ・ルメール(1827-1894)と出会い、ともに暮らすようになる。
以後30年、カトリーヌはミレーの良き伴侶となり、9人の子どもを育てた。
カトリーヌの実家は貧しかったこともあって、結婚についてはミレーの家族から反対があった。
だから、カトリーヌと正式に結婚式をあげたのは出逢いから30年後、ミレーが亡くなる直前の1875年だった。
《眠れるお針子》のモデルはカトリーヌとされるよ。
この頃のミレーは、裸婦や可愛らしい女性をあらわした小品を多く制作していた。
《眠れるお針子》を見た人の感想
その後山梨県立美術館へ。20日は県民の日のためどちらも入場無料でした。初めて最新入札のミレー「眠れるお針子」を観た。こころやすきまどろみ。共に瞼たたみそうな。ミレーの絵に惹かれるのは、根底にある「農」の引力だと思う。農、職業の祖、今生の仕事の全てを網羅する営み。
— @2heart0719 (@2heart0719) 2011年11月21日
名画《種をまく人》《落ち穂拾い、夏》をはじめとする農民画
ミレーは1848年頃、当時収入を得るために描いていた裸婦画を放棄して、農民画家に転向するんだ。
翌1849年、ミレーはパリで蔓延したコレラを避けて、一家でバルビゾン村に移住する。
このときミレー35歳。その後、60歳で亡くなるまで、バルビゾン村に住むことになるよ。
《種をまく人》
《種をまく人》は、バルビゾン村に移り住んだミレーがはじめて手掛けた大作。
「種をまく人」という画題は、パリにいた頃からミレーの興味をひいていた。
画面を占めているのは、左手で種の入った袋を握り、坂を下りながら右手で種をまく農民の堂々とした姿。
ミレーの絵がパリのサロンに出品されたとき、農民の力強い姿を称賛する人もいたが、保守的な人たちはこの絵を非難し、種をまく人を体制に異議申し立てをしている姿とみなした。
ミレーは、1851年頃、支援者への手紙で、こうつづっているよ。
「結局、農民画が私の気質に合っている。社会主義者とのレッテルを貼られることがあったにしても、芸術で、最も私の心を動かすのは何よりも人間的な側面なのだ。」
このことからも、農民の姿を書いたミレーには政治的意図はなかったと推測することができるよね。
2枚とも本物!
ところで、ミレーの《種をまく人》は、世界に2枚あるんだ。
「どっちが本物?」ってよく言われるけれど、まぎれもなく、どっちも本物。
上の写真の《種をまく人》は、ボストン美術館が所蔵しているもの。
山梨県立美術館が所蔵している《種をまく人》と、ほぼ同構図・同寸法なんだ。
先にボストン美術館所蔵のものが制作され、直後に山梨県立美術館所蔵のものが制作されたといわれているよ。
見比べてみると、山梨県立美術館所蔵の《種をまく人》が輪郭がぼんやりしている。
《種をまく人》を見た人の感想
ミレー生誕200年を記念した山梨県立美術館のミレー展、企画展はもちろん充実。常設展の素晴らしさにびっくり。常設の「種まく人」に鳥肌収まらず。
— さくら (@akebonosakura) 2014年8月13日
おはよう。火曜日の朝。
山梨県立美術館にある、ミレーの「種をまく人」を先日観てきました。絵の中の農夫の逞しさに圧倒されます。
色彩は暗いけど、ゴッホの種をまく人よりも今は心に染みます。
http://bit.ly/h8hDGj— 文香 (@fionamille) 2011年3月29日
《落ち穂拾い、夏》
ミレーの作品で最も有名なのが、オルセー美術館に収蔵されている《落穂拾い》(写真下)といっても過言ではないと思う。
山梨県立美術館にある《落ち穂拾い、夏》は、オルセー美術館にあるものより4年前に描かれた。
山梨県立美術館で実際に《落ち穂拾い、夏》を見てみると、想像より小さくてびっくりした。
山梨県立美術館収蔵《落ち穂拾い、夏》は38.1×28.5㎝に対し、オルセー美術館収蔵《落穂拾い》は、83.5×110㎝。
「落ち穂拾い」って?
《落ち穂拾い、夏》では、背景に収穫された穀物の大きな山を描かれている。
豊かな麦の収穫が終わり、その藁が高々と積み上げられているんだ。
その手前に描かれているのは、落ち穂を拾う貧しい女性たち。
一般的にフランスでは小麦などの穀物の収穫は7月から8月にかけて行われる。
収穫のとき、刈った穀物を全て取り入れるのではなく、地主は、畑を持たない貧しい人びとのために、穂を地面に残しておく習慣があったんだ。
麦の落ち穂拾いは、畑を持たない貧しい農村の人が、命をつなぐための権利として認められていた。
落ち穂拾いの光景はミレーの故郷で土地のやせた北ノルマンディー地方では見られない。
バルビゾンに移り住んだミレーは、聖書に登場する落ち穂拾いの行為をみて驚くと同時に、深く感銘を受けたとされているよ。
《落ち穂拾い、夏》を見た人の感想
山梨県立美術館でミレーの「落穂拾い 夏」をみた。落穂拾いって銀杏拾いみたいな,牧歌的なものだと思っていたけれど,貧しい人のためにわざと穂を取り残して,土地を持たない貧しい農民が拾うようにするものなんだって知りました。ミレーって闘う画家だったのかもな。
— 白鳥玲子 (@sirarei) 2011年11月25日
《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》
ミレーは、1850年代から1860年代にかけて、「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」という画題を好んで描いていた。
従順な羊たちは、ひとつのかたまりとなって、羊飼いに続いている。
牧羊犬を連れて羊の放牧をする羊飼いは、杖を持ち、マントをまとった姿で描かれる。
羊飼いは農民とは違い、俗世とかけ離れ、動植物についての知識が豊富。
当時羊飼いは、農民から距離を置かれた存在だったけど、聖書の中では「聖なる賢者」として描かれていた。
さまざまな知恵を有している人とされていたため、旅人が道を尋ねることもあったんだって。
《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》を見た人の感想
先ずは山梨県立美術館。ミレーのコレクションが充実してると聞いてたので一度来てみたかった。落ち穂拾い(説明書きでこの行為の意味合いを初めて知った)も、種まく人もよかったけど、一番印象に残ったのは、今にもこちらに向かって動き出しそうな、夕暮れの羊飼いと表情豊かな羊たちの作品。
— ちょっぴい (@honkechoppy) 2016年11月3日
「四季」連作
ミレーは生涯に3度、「四季」連作を制作している。
山梨県立美術館収蔵の《落ち穂拾い、夏》は最初の「四季」連作の「夏」にあたるよ。
最初の「四季」は、建築家フェイドーから注文され、農作業の様子を題材にして描かれた。
春は葡萄の接ぎ木、夏は落穂拾い、秋は林檎の収穫、冬は薪集めの様子を描いた。
《冬、凍えたキューピッド》
2回目の「四季」は銀行家トマの新邸の食堂を飾る装飾画として注文された。
最初の連作と違い、古代ギリシアの神話から題材をとっているんだ。
春は《ダフニスとクロエ》(下写真)、夏は《収穫の女神ケレス》、秋は天井画で焼失して現存していない。
山梨県立美術館に収蔵されているのは、この2回目の「四季」連作の「冬」にあたる、《冬、凍えたキューピッド》なんだ。
この作品は同連作「春」「夏」よりも若干小さく、上下が丸くなっている。
これは、作品が食堂の暖炉の上の壁にぴったりと収まるように作られたからなんだ。
それにしても、個人でこんなに貴重な連作を注文するなんて、どれだけのお金持ちだったんだろう。計り知れない。
《ダフニスとクロエ》
上の写真は、国立西洋美術館に収蔵されている、ミレー《春、ダフニスとクロエ》。
山梨県立美術館には、この20年前にミレーによって描かれた、もう一つの《ダフニスとクロエ》が収蔵されているよ。
古代ギリシアの詩人ロンゴスの、のどかでのんびりとした自然を背景とした恋愛小説をもとにして描かれている。
山梨県立美術館収蔵の《ダフニスとクロエ》は、《春、ダフニスとクロエ》よりもさらに幼い子どもとして描かれているよ。
ミレーの3回目の「四季」連作(未完)は、再び農作業の様子を題材にしている。
バルビゾンの画家たち
バルビゾンは、フォンテーヌブローの森の入口に当たり、パリの南東約60kmにあるちいさい村。フォンテーヌブローの森っていうのは、2万5千ヘクタールもの広大で美しい森。
バルビゾン村には、ミレーの他にも多くの画家たちが集い、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。
コローやルソーに代表されるこれらの画家たちは、村の名前をとって「バルビゾン派」と呼ばれるよ。
山梨県立美術館には、バルビゾン派の画家の作品も多数収蔵されている。
コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニーの7人がバルビゾン派の中心的存在で、「バルビゾンの七星」と呼ばれている。
このうち、山梨県立美術館には、ディアズ以外の6人の画家の作品が収蔵されているよ。
コロー
1796-1875年。パリの裕福な家庭に生まれた。
詩情あふれる森や湖の風景画で知られるが、人物画にも傑作がある。
1850年頃からは、銀灰色を基調とした詩情あふれる作品を描いて人気を得た。
山梨県立美術館所蔵の《大農園》では、産業化されつつあるパリからは失われた、穏やかな田園風景が広がっている。
テオドール・ルソー
1812-1867年。テオドール・ルソーはバルビゾン派の指導者的存在だった。
ミレーの最も親しい友人で、ミレーはルソーの死を看取った。
多くのバルビゾン派の画家たちがパリを拠点として活躍したのに対して、ルソーはバルビゾン村に定住して風景画を描きつづけた。
1831年にサロンへの初入選を果たすものの、1836年から41年までサロンへの落選が続いたことから、「偉大なる落選王」と呼ばれた。
山梨県立美術館所蔵の《フォンテーヌブローの森のはずれ》に描かれるのは、フォンテーヌブローの森のアプルモン渓谷と考えられる。
1830年代にフォンテーヌブローの森の開発計画が立てられたとき、ルソーとミレーは自然保護運動を行い、その結果、森の一部が美観区域に指定された。
上の写真は、ミレーとルソーの活動を讃えるために、バルビゾン村に設置された記念碑。
山梨県立美術館にも同じ型から作られた記念碑があるよ。
トロワイヨン
1810-1865年。
セーヴルで磁器職人の息子として生まれ、早くから磁器工場で働き、絵付職人から絵を学んだ。
1843年にルソーと知り合い、フォンテーヌブローの森で制作するようになる。
17、18世紀のオランダ人画家の作品にふれてからは、動物画家としての力量を高めた。
山梨県立美術館所蔵の《市日》では、動物画家として有名だったトロワイヨンにふさわしく、市に集まった家畜の様子がていねいに描かれている。
定期市は、動物の売買や、遠く離れた都市からの情報を得る機会だったんだ。
ジュール・デュプレ
1811-1889年。
フランスのナントの磁器工場の息子として生まれる。
1822年に磁器絵付職人として働きはじめる。
1834年にイギリスを訪れ、イギリス風景画からの影響を受ける。
帰国後は主にパリ近郊で制作した。特にルソーと親交が厚く、制作の面でも影響を受けた。
山梨県立美術館所蔵の《森の中ー夏の朝》では、画面いっぱいに背の高い木々が描かれている。
牛が描かれていることで、この森の奥行きが効果的にあらわされている。
ドービニー
1817-1878年。パリに生まれ、画家だった父に絵の手ほどきを受ける。
各地を旅しながら戸外制作を行い、1843年以降たびたびバルビゾンを訪れた。
水辺の風景を好んで題材とした彼は、アトリエを備え付けた小舟「ボタン号」を考案し、フランス各地の川に浮かべて制作をおこなった。
1860年にはオーヴェール=シュル=オワーズに定住。
山梨県立美術館所蔵の《オワーズ河の夏の朝》には、オワーズ河の風景が描かれており、そこには小さな蒸気船が浮かんでいる。
蒸気機関は十九世紀になって発達した動力であり、この一見のどかな風景のなかにも近代化の波が押し寄せていることが分かる。
まとめ
山梨県立美術館のミレーの特徴をもう一度おさらい。
- 二人の妻をモデルにした絵画を見られる!
- 名画《種をまく人》《落ち穂拾い、夏》を中心とする農民画
- 「四季」連作
- バルビゾン派の画家たち
実際に足を運んで絵画を目の当たりにすると、ミレーの素晴らしさがわかるはず。
《参考文献》
『ミレーと出会う』山梨県立美術館、1996年
『山梨県立美術館コレクション選』山梨県立美術館、2008年