「AYA(あや)世代」っていう言葉、聞いたことあるかな?
「AYA世代」っていうのは、英語の「思春期と若年成人(Adolescentand Young Adult)の頭文字からつくられた言葉。
10代後半から30代の人たちをさすよ。
今、AYA世代のがん患者は2万人以上いると推計されているよ。
世の中では、この世代のがんの人はあまり認知されていないし、隠している人も多い。
社会でバリバリ活躍して当然の世代だからこそ、特有の悩みというものもあるんだよね。
今回は、AYA世代のなかでも、アラサー子なし主婦のがんの場合。
ももちんは、31歳のとき、乳がんと診断された。
どんな壁にぶつかって、今どうおもっているか、書いていくよ。
- 世間的なイメージ
- 仕事、母親になる、老後の夢を手放した
- 「絆」と「孤独」という相反する二つを感じた
世間的なイメージ
「若い人のがん」と聞いて、あなたは何をイメージする?
進行が早い?
原因が気になる?
かわいそう?
ももちんは、突然自分ががんであることを知らされたとき、やっぱり「死」が頭をよぎった。
自分の10年後が想像できないのは辛かったなぁ。
なんでそう思ったかっていうと、それまで自分が知ってたがんの情報が、死につながるものだけだったんだよね。
若い人のがんを題材にした映画は、だいたい死んじゃうし。
自分ががんになってから、初めて知った。
意外とふつうに生きて生活している人がたくさんいること。
がん患者自身がそうなんだから、それ以外の人たちは、さっきみたいなイメージもってて当然だと思う。
でも、そのイメージから何気なく発せられる一言に、傷つくんだよね。
「まだ若いのに・・・」
本人を前にしては言わなくても、病院の化学療法の待合室ではちらちら見られる。
やっぱり、かわいそうって思われてるのが、一番辛いんだよね。
「かわいそう」=「もうすぐ死ぬと思われてる」って思うから。
どんなに気持ちを前向きに持っていきたくても、周りの反応で、「やっぱりそう思われてるんだ。」って落ち込むことはよくあった。
ももちん自身は、いまでは、若くしてがんになったから不幸とはまったく思わない。
がんになっても普通に生活している人が大部分と知って、「がん=死」というイメージに自分を当てはめることをやめたから。
夢が消えたと思った
ももちんは、乳がんと診断されたとき、未来に設定していた夢が、いったん白紙になったんだ。
その夢って、何だと思う?
それはね。
やりがいのある仕事をすること。
母親になること。
老後の安定した生活。
周りの同世代の友だちが、当たり前に望んでいたり、叶えていること。
その夢たちが、消えちゃった。
でもね、不思議だったのは、それらが白紙になったとき、「あきらめ」と一緒に、とても楽になったんだ。
やりがいのある仕事
思えば、ももちんは、子どものころからずーっと忙しかった。
学校行って、習い事やったり、部活やったり、、休みの日は遊んだり、バイトしたり、、
常に何かをしていることが当たり前だった。
だから、何もしていない時間は、無価値感や焦燥感におそわれていたんだ。
本当は、なによりもぼーっとすることがしたかったのに、そんなことには気づかなかった。
自己分析でも、例えば就活するときとかは、社会的に役に立つ前提で考えていた。
だから、「何をやりたいか」「何が好きなのか」を探す前に、「自分ができそうなことの中で」という前置きをつけていたんだよね。
そして、仕事にやりがいを求めるあまり、ブラックな環境に身を置いて、それを充実感と勘違いしていたよ。
程度の差はあれ、独身時代も、結婚してからも、似たような考えから、似たような環境をつくりだしていた。
いつまでたっても、のほほんとした生活はできなかったなぁ。
妊娠さえしたら休めるのになぁ・・・なんて思ったり。
乳がんになったことはとてもショックでつらい出来事だった。
でも、この「何にもせず、ぼーっとしたい」という望みを初めてかなえることができたのは、このときだったんだよね。
無期限のお休み。
その中で、自分がいかに仕事というものに存在価値を見出していたのか、を知るようになったよ。
母親になること
結婚して数年、なかなか子どもを授からずに、悩んでいた時期でもあったよ。
いよいよ本気の不妊治療に足を踏み入れてみようか、と話していた矢先に、ももちんの乳がんが発覚。
ホルモン治療がある最低5年は、妊娠をあきらめなくてはいけない。
この、妊娠のために行動することすらできない空白の5年間をつきつけられたとき、無力感と同時に、楽にもなったんだよね。
もう、今ないものを追い求めなくていいんだ。
それを許されたことの安堵。
世の中の常識では、子どもがいる家庭が幸せ、だよね?
では、本当の自分の気持ちはどうかな?
初めて自分に聞いたかも。
この安堵が、すべてを物語っていた。
「子どもがほしい」という望みは、本当の望みではなかった。
本当の望みは、「子どもを授かることによってできる、自分の居場所・価値・役割」だった。
そのことに気づいたとき、子どもがいないことに対する不足感も、焦燥感も消えていったんだ。
老後の安定
乳がんが発覚する前のももちんは、仕事も遊びも充実ライフを送っていると錯覚していたよ。
仕事は大変だけど楽しいし、お休みは登山に行ったり旅行に行ったりしていたし。
けれど、本当のところ、たくさんの我慢をしていたんだよね。
本当は、もっと休んでのんびりしたかった。
でも、老後のために、貯金は必要。
今もっと遊びたいのを我慢して、貯金しよう。今休みたいのを我慢して、働こう。
老後にはヨーロッパ行くぞ。
老後は毎日お休みだから、のんびり過ごすぞ。
このような考えから、目の前にある今をないがしろに過ごしていた。
そして、発覚したのが若年性乳がん。
この年代で乳がんになって、老後まで生きられる可能性ってどれくらいなんだろう?
やりたいことを老後まで先延ばしにすることは、ももちんにとって、全く意味がないことになっちゃった。
だったら、今やりたいことを今やってあげよう。そんな風に思い始めたんだ。
「絆」と「孤独」相反する二つ
乳がんになって闘病する中で、さまざまな優しさに触れることができた。
家族や友人、そして病気になってから知り合った同世代同病のブロ友さん。
関わっていく中で、「絆」だけでなく、「孤独」も強く感じたんだよね。
同世代同病でも悩みはそれぞれ
35歳以下で乳がんになると、若年性乳がんといわれるよ。
ブログを通じて、同じ若年性乳がんの人と仲良くなり、直接会って遊ぶこともあった。
抗がん剤で脱毛してるとか、手術して胸に傷があるとか、気にしないで一緒にお風呂に入れるって、すごくありがたかったなぁ。
一方で、同じ乳がんだとしても、生活環境が違うと、抱える悩みも違うんだなって感じた。
恋愛、結婚、仕事、妊娠、出産、子育て、、、
共感できることもあれば、できないこともある。
それと同じように、乳がんのタイプやステージによっても、抱えるものが全く違ってくる。
乳がんのタイプによって、早く妊活できる、できないも違う。
抗がん剤やる、やらないも違い、髪が抜ける、抜けないも違う。
がんのある場所や大きさによって、全摘出か、温存手術かも違い、気楽に温泉に行けるか、行けないかも違う。
ステージによって、いとも簡単に、5年生存率が変わってしまう。
5年後に生きていられるだろうか、という心配がつきまとう。
共通点も違いも、強く感じたのが印象的。
一緒に笑っていても、皆それぞれ、命と向き合っていたんだよね。
家族の存在
がんの闘病中、家族という存在もありがたかった。
苦しいときも、見た目がどんなに変わってしまっても、家族はそばにいて、見守ってくた。
一人じゃないんだということを、とても強く感じた。
でもやっぱり、同時に闘病の孤独さも感じた。
どんなに近くにいてくれる人がいても、その人は、自分じゃない。
1ミリも、自分の苦しみを共有することはできない。
自分の苦しみは、どこまでいっても、自分のものだ。
そのかわり、その人は、ももちんが感じ得ない何かを、抱えているかもしれない。
人は、どこまでいっても一人で、交わることがない。
絆と孤独。相反する二つを、強く感じたんだ。
まとめ
アラサー子なし主婦ががんになって感じた悩み。
- 世間的なイメージ
- 仕事、母親になる、老後の夢を手放した
- 「絆」と「孤独」という相反する二つを感じた
一口にAYA世代と言っても、悩みは人それぞれ。
そして、悩みもありながら、楽になったこともある。
これも、実際に体験してみて感じたこと。
あくまでももちん個人の体験だけど、誰かの参考になるといいな。
実際にがんになったとき、してもらってうれしかったサポートについては、こちらの記事をどうぞ。
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