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【第9話】30代主婦乳がん闘病記。休職と友人・SNSでのカミングアウト

2020年1月31日

30代子なし主婦の乳がん闘病記。

今回は、休職を決めたときのことと、職場・友人・SNSでのカミングアウトのことを書くよ。

この記事のポイント

  • がんと仕事を考えるとき、大切なのは「今、自分がどうしたいか」
  • カミングアウトはしてもしなくても良い。自分が楽な方を選ぶ。

ももちんの乳がん闘病記って?

サイト主ももちんが2013年31歳で体験した、若年性乳がん回想録です。

告知時ステージⅡリンパ節転移あり。

術前化学療法〜乳房温存手術・リンパ節郭清〜放射線〜分子標的薬。

2019年4月ホルモン療法を終え、無治療になりました。

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仕事、どうする?

退職するときにもらった写真。結婚後も楽しいお仕事ライフを目指していた。

がんの告知を受けてすぐ考えたのは、「仕事、どうしよう?」ということ。

当時アパレルのお店でアルバイトしてたんだけど、がっつりシフトも入っていて、業務の担当も任されていたんだよね。

 

アルバイトを「休職」

ももちんは、会社員の頃から仕事にかなりの価値をおいていたので、辞めるという選択はなかった。

当たり前のように「仕事を続ける」選択をしようとしていた。

結婚して職を変えアルバイトになったとはいえ、仕事を任され、それに応えることができる。

そんな自分がいるからこそ、自分には価値があると思える。

そうしなければならないという義務感より、そうしたいという使命感が強かった。

本当に心の奥にあったのは、「もうなんにもしたくなーい!」だったんだけど、それに気づくのはずっと後のこと。

 

ももちん

仕事、ウィッグつければ続けられるかなー?

いやいや、辞めなさいよ・・・

東京に通院で、副作用もあるんだから、無理でしょうよ。

ももちん

え、そうなの?

そういう選択肢もあるんだ・・・

抗がん剤投与の日だけ数日休めば、続けられると思ってたー

 

なんだかちぐはぐな会話の中で考えた。

ももちん

もしかして、私、どうどうと休んで良いのかな?

がんばれば仕事続けられるけど、がんばらなくていいのかな?

 

よく考えた結果、抗がん剤治療をする半年間、休職させてもらうことにした。

この時点では、「辞める」という決断も「働きつづける」という決断もできなかった。

決断できない自分に正直に、「休職」という形で保留にしてもらって本当に良かったと思う。

それが結果的に、向き合う時間をたっぷりといただくことになったから。

ももちん

仕事にくっついていた「使命感、達成感、自己価値」は、その後長い時間をかけて、自分と向き合ううちに解体されていった。

 

バイト先での会話

休職を決めてからも、数週間はいつもどおり出勤した。

忙しく動き回りながら、ふしぎな感覚になった。

ももちん

(こんなにいつもどおり動いているのに、がんなんて不思議だな。

このまましこりに気づかず、がんであることにも気づかなかったら、何事もなくどのくらい過ぎていってたのだろう。)

そんなことを考えていた。

このとき私が店長と話していたことは。

表面的な望み

半年後には週一回でも出勤したいです。

抗がん剤でカツラになるから人前にはでられないけど、後方作業ならできます。

休職してしばらく休んだら、またここでバリバリ働こう!そう思っていた。

今までの自分を維持することが何より大切だと思っていたから、本当の気持ちを感じることなんて頭になかった。

 

大切にしたい「自分の気持ち」

がん治療と仕事を考える上で、いくつか考えることってあると思う。

たとえば正社員なら、辞めてしまうと同じ条件で復帰するのは難しいかもしれない。

たとえば自活しているなら、生活費を得るために働き続けることはマストかもしれない。

どうするかを考えるとき、つい「元の生活に戻れるように」動くのがふつうだよね。

 

だけど、考えてみると、それっておかしい?って思った。

ももちん

なぜ、私はこの状況で乳がんになったのか?

乳がんになってもなお、元の生活に戻って安心を得るため?

それだけ、前の生活を気に入っていたかな?

 

結局一番大切なのは、「今、自分がどうしたいのか」なんじゃないかな?って思った。

何が良くて何が悪いかなんて、一般論に合わせてみても意味ない。

もちろん、すぐに結論を出せないことはあるし、そんなときは「保留」でもいい。

ももちん

勇気を持って自分の気持ちを選んだとき、その選択をサポートする案がいくつも湧いてくる。

 

結局、仕事は1年2ヶ月の休職期間を経て、一度も復帰することなく辞めました

 

同僚へのカミングアウト

家族と直属の上司以外で、はじめに病気のことをカミングアウトしたのは、仲のいい同僚。

食事会で話したとき、同僚は一緒に泣いてくれ、そして最後には応援してくれた。

最終出勤日の朝礼で挨拶したとき、私はまた泣いた。

同僚の反応はさまざまだったけど、多くは「憐れむ」のではなく「応援して」くれたのが心強かった。

 

「前向きに」という気持ち

このころ、告知のショックからは立ち直り、治療に入るメドもたっていた。

心の中では少しずつ、「がん患者」とはどういうことなのかについて、冷静に考え始めていた。

今まで私が「がん」に対して貼っていたラベル。

ももちん

がんは一生つきまとう。

がんになったらかわいそう。

闘病は苦しい。

がんは死へのカウントダウン。

そんなラベルがそっくりそのまんま、自分自身に突きつけられた。

強固にくっついてしまったこれらのラベルを、まるで必死になんとかこすりとろうとするように、「前向きにとらえる」という観念にとらわれた。

そのひとつの方法として、カミングアウトは必然の選択だった。

 

表面的な望み

私はがん患者である。それは変えられない。

だけど、悪いことはなにもしていない。

隠さず堂々としていたい。

がんになったという事実を、不幸なものではなく、前向きに生きていく要素に変えることはできるはず。

そんな、焦りにも似た思いが起こっていた。

本心では、全くそう思えていなかったけど、そう思えるようになりたかった。

 

しかし、もっと深く見ると。

隠れた本音

そうでもしないと、あまりに不公平じゃないか

こんなことが、あってたまるものか。

なんで自分がこんな目にあわなくちゃいけないんだ

心の奥では、やり場のない怒りがわき起こっていた。

 

親友へのカミングアウト

赤ちゃんのそのまんまの生命力に、パワーをもらった。

仕事が完全休職状態になった数日後、学生時代からの親友の家に遊びに行った。

同じカミングアウトでも、職場と今回の親友とでは、心持ちが全く違った

職場でのときは反応が怖いけど、「えぇい、どうにでもなれぃ」という気持ちでさらした感じ。

親友のときは、どんな反応が来ても問題ではなかった

私にとってショックなことは、間違いなく親友にとってもショックであろうことがわかっていたから。

それでも、私はこの親友と共有したかった

どちらかというと、家族に言うのと近い感覚。

そのころ、親友には赤ちゃんが生まれたばかり。

まだ首もすわらず、寝ころびながらひたすらママを見つめて、眠って、泣いて、母乳を飲んでを繰り返す赤ちゃん。

一生懸命お世話をする親友と赤ちゃんを見ると、いろんな気持ちが湧いてきた。

ももちん

なんて力強い生き物なんだ。

同じ人間とは思えない。

お母さんと赤ちゃん。

世の中にあふれている光景だけど、私には経験しえないかもしれない、奇跡的なことだなぁ。

親友に病気のことを話したときは、泣かなかった。

涙をこらえたのは、母と話したとき以来。

親友は、なにも言わず、うんうんとうなずいていた。

帰るとき話しながら、親友が泣き始め、私もつられて泣いた。

最後の最後で、とうとう泣いてしまった私たちだった。

 

SNSでのカミングアウト

このころから少しずつ増えてきたお守り。手術までサポートをもらった。

ももちんは、抗がん剤治療が始まり、少し落ち着いてきた頃、SNSでも乳がんをカミングアウトした。

理由はいくつかある。

SNSでカミングアウトした理由

  • 応援してほしかった
  • いろんな人にカミングアウトを何回もしたくなかった
  • 周りに隠し通すことがストレス
  • 「ちょっと関わり方考えろよ?気遣えよ?」という周りへの圧力
  • 周りが何かを感じ考える機会になると思った

案の定、公表した日のSNSはざわついていた。

たくさんの応援コメントをもらえて、本当に嬉しく、がんばる源になった。

ひっかかったり素直に受け取れない言葉もあった。

一見励まそうとしている言葉の奥に感じるのは、「がん」にくっつけている人それぞれの価値観

ももちん

あ、私のことかわいそうと思ってるなー。

あ、「がん=死」を結びつけているんだなー。

応援している自分に酔ってるな~。完全お世辞だわ。

もちろん、言っている本人は全く悪気はないことはわかるし、ももちん自身が皮肉にとらえていたこともある。

 

ももちんは特に、「心配」という言葉に過敏に反応していた。

ももちん

「かわいそう」「同情」という言葉はなくても、「心配です」「ショックでした」は言われたな・・・

心配されてもどう答えればいいかわからないし、こっちが返答に気遣う、元気に振る舞わなきゃって思っちゃう。

そんな話を夫にしたら、「でもふつうは心配してるって言うんじゃない?」との答え、ふーん、そうか、と、思った。

 

まったく同じ言葉を発していても、素直に感謝の気持ちで受け取ることもあった。

なんのコメントがなくても、後からお守りを送ってくれたり、ほんの一言「大丈夫だよ。」て言ってくれるだけで勇気をもらったりもした。

結局は、がん患者に対して、どんな言葉はいいけどどんな言葉はだめ、という絶対的ルールは存在しない

その人を思う気持ちに正直に、出てくる言葉をそのまま表してくれるだけで、伝わるのだと思う。

一方で、受けとる側のコンディションによって、どんな言葉も皮肉に聞こえたり、孤独を深めることにもなる。

いろんなことを感じた上で、やっぱり私はカミングアウトして良かったなぁ。。

 

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ももちん

当時書いていた日記を公開。

2013.7.9(抗がん剤3回目投与前日)

今日は義実家。姉とTELで話す。

やはり、火曜ともなると副作用はおちつくね。

きのう。ブログでがんのこと公開した。

たぶん、楽になると思う。

気持ち的に。

ちゃんとあいさつをしよう。

おとなりにも。

もうご近所さんなんだしね。

ちゃんとしよう。

そういうところから始まるんでしょう、変化は。

脱毛はやっぱりこわいけど。

がんばるよ、ももは。

父が元気そうでよかった、比較的。

明日、肌のこときこう。

あと、びわ茶など、水分とりすぎない方が良いかとか。

きこう、きこう。

いざ!3回目ー!

引用元:ももちんの日記(私物)

 

まとめ

30代子なし主婦乳がん闘病記。

第9回 休職とカミングアウトまとめ。

休職

  1. 当たり前のように仕事を続けようとしていた
  2. 本当は休みたかったけど気づいてなかった
  3. 全ての決断を保留にし、半年間休職
  4. 結局1年2ヶ月休職し、退職した

 

カミングアウト

  1. がんに抱いていたネガティブなイメージに直面
  2. 隠すようなことではない!とカミングアウト
  3. 返ってきた反応
  4. 結局は、私はカミングアウトしてよかった

 

次回は、抗がん剤による脱毛の恐怖について書くよ。

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  • この記事を書いた人

ももちん

夫と猫たちと山梨在住。海外の児童文学・絵本好き。 紙書籍派だけど、電子書籍も使い中。 今日はどんな本読もうかな。

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