「フランケンシュタイン」は初版が出版されたとき、作者の名前がなかった。
メアリ・シェリーは男性的な文体で書いたので、作者が若い女性であることは当時、非常に驚かれた。
原文は知的なレベルの高い男性的な文章であり、夫の詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの影響もあってか、ロマン主義詩の雰囲気も漂わせている。
こうした文体を本書は忠実に日本語に訳している。
最近は読みやすさ重視で、原文の雰囲気を無視したやわらか翻訳や、原文に余計な尾ひれをつけてわかりやすくした翻訳が出回っているが、原文の雰囲気に最も近いのがこの翻訳である。
メアリ・シェリーはこの小説を書き始めたとき、まだ10代だったが、本書が出版されたとき、翻訳者も解説者も20代であったことも付記しておきたい。
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フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1)) Kindle版
11月も雨のわびしい夜、消えかかる蝋燭の薄明かりの下でそれは誕生した。解剖室などから各器官を寄せ集め、つぎはぎされた身体。血管や筋のひとつひとつが透けて見える黄色い皮膚。そして、茶色くうるんだ目。若き天才科学者フランケンシュタインが生命の真理を窮めて創りあげたもの、それがこの見るもおぞましい怪物だったとは! 無生物に生を与える実験の、しかしあまりに醜悪な結果に、彼はこの生き物を見捨てて逃げ去るのだが……。いくたの映画やドラマ、小説等を通じ、あまりに有名な不朽の名作。
- ISBN-13978-4488532017
- 出版社東京創元社
- 発売日1984/2/24
- 言語日本語
- ファイルサイズ5416 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B007TAKKHW
- 出版社 : 東京創元社 (1984/2/24)
- 発売日 : 1984/2/24
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 5416 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 293ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 104,276位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年2月22日に日本でレビュー済み
フランケンシュタインが怪物そのものではなくそれを創造した科学者の名前だということは知っていましたが、この小説は子ども時代に少年少女向けにやさしく書き直した版を読んだきりで、そのストーリーはほとんど記憶からこぼれ落ちていました。
今回改めて読んで驚いたのは、怪物が思いのほか能弁であり、学習によって知見をきちんと養っていった者であることが描かれているところです。彼は自分を振り返っておのれの寄って立つ場所について深い内省を行う力すら備えているのです。
そして見えてくるのは、フランケンシュタインの怪物が後のハリウッド映画が繰り返し描いたような根っからの化け物ではないとうこと。見てくれが社会一般の人々と異なるがために、孤独感と疎外感を深めていっただけ。つまり彼の怪物性は決してアプリオリのものではなく、社会の側が彼に働きかけ、植えつけていったものだといえます。
彼が求めたのは、自分と心の共感を交わすことのできる相手。そんなささやかな望みすらかなわないのです。
さらにフランケンシュタインの怪物は自らの死を決意した時に、悲しいかなようやくひとつの平安を見出してこう叫ぶのです。
「太陽も星ももはや見えず、頬に遊ぶ風を感じることもない。光も知覚も意識も失せた、その状態に自分は幸せを見出すのだ。(中略)今は死がたったひとつの慰めだ。罪に穢れ、にがい悔恨に引き裂かれて、死以外のどこに安らぎがある?」(296頁)
読み終えたとき、私の中でこの怪物と近年のいわれなき無差別殺人の犯人たちとが重なって見えました。
誰にも理解されず深い孤独感と疎外感を抱いた犯人たち。
死刑で構わない、死刑になるために人を殺した、と明かす犯人たち。
殺人に正当性など望むべくもないのですが、あの犯人たちの怪物性がどこから来たのかという問題について、この「フランケンシュタイン」が一筋の道を示しているようでなりません。
今回改めて読んで驚いたのは、怪物が思いのほか能弁であり、学習によって知見をきちんと養っていった者であることが描かれているところです。彼は自分を振り返っておのれの寄って立つ場所について深い内省を行う力すら備えているのです。
そして見えてくるのは、フランケンシュタインの怪物が後のハリウッド映画が繰り返し描いたような根っからの化け物ではないとうこと。見てくれが社会一般の人々と異なるがために、孤独感と疎外感を深めていっただけ。つまり彼の怪物性は決してアプリオリのものではなく、社会の側が彼に働きかけ、植えつけていったものだといえます。
彼が求めたのは、自分と心の共感を交わすことのできる相手。そんなささやかな望みすらかなわないのです。
さらにフランケンシュタインの怪物は自らの死を決意した時に、悲しいかなようやくひとつの平安を見出してこう叫ぶのです。
「太陽も星ももはや見えず、頬に遊ぶ風を感じることもない。光も知覚も意識も失せた、その状態に自分は幸せを見出すのだ。(中略)今は死がたったひとつの慰めだ。罪に穢れ、にがい悔恨に引き裂かれて、死以外のどこに安らぎがある?」(296頁)
読み終えたとき、私の中でこの怪物と近年のいわれなき無差別殺人の犯人たちとが重なって見えました。
誰にも理解されず深い孤独感と疎外感を抱いた犯人たち。
死刑で構わない、死刑になるために人を殺した、と明かす犯人たち。
殺人に正当性など望むべくもないのですが、あの犯人たちの怪物性がどこから来たのかという問題について、この「フランケンシュタイン」が一筋の道を示しているようでなりません。
2014年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とってもスリリングでした!ゾクゾクしますよ。昔の名作を読み直したいって人におすすめです。
2022年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
不自然な和訳というか、とても読みにくいの途中で読むのやめました。
2017年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
電子書籍のフランケンシュタインは他に三冊程あり、すべて邦訳が異なります。
解説が素晴らしいとのレビュアーさんの御意見を読んで創元版を選んだのですが、kindle版には肝心の解説がありませんでした…。
(出版社は異なりますがハヤカワの『一九八四年』といい、kindleには有用な解説が無い書籍が結構あって、それが残念です)
せめて商品説明でkindle版には巻末の解説が無いと記載されてたら、
他の邦訳をサンプルで読み比べて、自分の好みに合うものを検討したのですが…。
内容は名作だけあって素晴らしいものでした。
解説が読みたい方は紙の書籍をお勧めします。
解説が素晴らしいとのレビュアーさんの御意見を読んで創元版を選んだのですが、kindle版には肝心の解説がありませんでした…。
(出版社は異なりますがハヤカワの『一九八四年』といい、kindleには有用な解説が無い書籍が結構あって、それが残念です)
せめて商品説明でkindle版には巻末の解説が無いと記載されてたら、
他の邦訳をサンプルで読み比べて、自分の好みに合うものを検討したのですが…。
内容は名作だけあって素晴らしいものでした。
解説が読みたい方は紙の書籍をお勧めします。
2018年12月24日に日本でレビュー済み
2015年2月に放映されたNHKの「100分de名著」に触発されて本書を購入して早3年。今回やっと読むことができました。サブテキストとしてNHKのテレビテキストも再読しました。
SFを読んで約半世紀、今まで読まなかった自分が言うのも恥ずかしい限りですが、SF読みには必読の書です。
歴史的名著であるだけに関連するテキストが充実していることも重要。深読みする際には参考になります。
本編も面白いですが、巻末の新藤純子氏の解説が大変面白い。目からうろこが落ちます。
本書のテーマは〈怪物〉を創造した青年と創られた〈怪物〉の悲劇ですが、この両者は共に不幸に陥ります。
創造者である青年は自らの心が欲する探究心のままに行動した結果によって苦しみ、被創造物である〈怪物〉は自分がそのように創られてしまったという事実によって苦しみます。置き換えてみると、青年の苦悩は暴走する技術の制御を誤ってしまった現代科学者の姿であり、出会った人々に恐れられ嫌われる〈怪物〉の苦悩は社会から疎外されて苦しんでいる現代人の姿に他なりません。そのように考えると本書は優れて現代的な物語であるとも言えます。
ところで、青年の苦悩を本書の物語だけに限定して考えるなら、〈怪物〉を滅ぼしさえすれば、一度は〈怪物〉を生みだしてしまったという事実は残るにしても、それ以上の苦悩は解消する筈です。しかし、主人公の青年はなかなかその手段を取ろうとしません。
一度防衛のために撃った銃弾をかわされた他は、何度もひどい言葉を投げつけるだけです。時には素手でとびかかっていきます。北極海での追跡についても戦う手段を用意している様子はありません。〈怪物〉が銃弾で傷つく存在であることを自ら明かしているにもかかわらず。
これは、怪談(ゴシック・ホラー)の特徴として、または作者が女性ゆえに非物理的な争いを強調するためなのでしょうか?このため、クライマックスに娯楽映画的な“怪物対人間の戦い“という構図を期待すると空振りに終わります。
一方、〈怪物〉の不幸は、不完全な創造者によって不完全に作られ、不完全な世界に生みだされたこと、そして、心を持たされてしまったことにあります。このため、自らの創造主に不幸を与えようが、たとえ恨みを晴らすために彼を殺してしまったとしてもその苦悩が晴れることはありません。〈怪物〉が(非常に高度な?)心をもつことさえ無かったら、あれほどの苦悩は感じなくて済んだはずなのですが。
そのように考えると、不完全な存在である人間が、心を持った存在を作りだすことの無謀さを思い知らされます。
〈怪物〉の立場に立てば、その不幸は、第一に、そのような外見に創られてしまったということにありますが、第二に、心を持ってしまったということがあります。その意味で〈怪物〉は我々人間とまったく同じです。〈怪物〉は、もしかしたらそうであったかも知れない自分なのです。
こう考えると、進化の結果としてたまたま心を持ってしまった人間が、苦悩から逃れられないのは仕方がないことかもしれません。(このテーマは、伊藤計劃の『ハーモニー』に繋がっているのかな。)
ところで、もし、世の中に一人でも〈怪物〉を受け入れてくれる人がいたならば、〈怪物〉は〈怪物〉ではなくなることができたのでしょうか?
もし、それを書いていたとしたら本書はまったく違う物語になってしまうので、メアリ・シェリーはそれを選ばなかったということなのですが、空想としては興味深い分岐点だと思います。
なお、解説では『ブレードランナー』とフランケンシュタインの関係が指摘されていますが、そうだったのかと思わず膝を打ちました。
SFを読んで約半世紀、今まで読まなかった自分が言うのも恥ずかしい限りですが、SF読みには必読の書です。
歴史的名著であるだけに関連するテキストが充実していることも重要。深読みする際には参考になります。
本編も面白いですが、巻末の新藤純子氏の解説が大変面白い。目からうろこが落ちます。
本書のテーマは〈怪物〉を創造した青年と創られた〈怪物〉の悲劇ですが、この両者は共に不幸に陥ります。
創造者である青年は自らの心が欲する探究心のままに行動した結果によって苦しみ、被創造物である〈怪物〉は自分がそのように創られてしまったという事実によって苦しみます。置き換えてみると、青年の苦悩は暴走する技術の制御を誤ってしまった現代科学者の姿であり、出会った人々に恐れられ嫌われる〈怪物〉の苦悩は社会から疎外されて苦しんでいる現代人の姿に他なりません。そのように考えると本書は優れて現代的な物語であるとも言えます。
ところで、青年の苦悩を本書の物語だけに限定して考えるなら、〈怪物〉を滅ぼしさえすれば、一度は〈怪物〉を生みだしてしまったという事実は残るにしても、それ以上の苦悩は解消する筈です。しかし、主人公の青年はなかなかその手段を取ろうとしません。
一度防衛のために撃った銃弾をかわされた他は、何度もひどい言葉を投げつけるだけです。時には素手でとびかかっていきます。北極海での追跡についても戦う手段を用意している様子はありません。〈怪物〉が銃弾で傷つく存在であることを自ら明かしているにもかかわらず。
これは、怪談(ゴシック・ホラー)の特徴として、または作者が女性ゆえに非物理的な争いを強調するためなのでしょうか?このため、クライマックスに娯楽映画的な“怪物対人間の戦い“という構図を期待すると空振りに終わります。
一方、〈怪物〉の不幸は、不完全な創造者によって不完全に作られ、不完全な世界に生みだされたこと、そして、心を持たされてしまったことにあります。このため、自らの創造主に不幸を与えようが、たとえ恨みを晴らすために彼を殺してしまったとしてもその苦悩が晴れることはありません。〈怪物〉が(非常に高度な?)心をもつことさえ無かったら、あれほどの苦悩は感じなくて済んだはずなのですが。
そのように考えると、不完全な存在である人間が、心を持った存在を作りだすことの無謀さを思い知らされます。
〈怪物〉の立場に立てば、その不幸は、第一に、そのような外見に創られてしまったということにありますが、第二に、心を持ってしまったということがあります。その意味で〈怪物〉は我々人間とまったく同じです。〈怪物〉は、もしかしたらそうであったかも知れない自分なのです。
こう考えると、進化の結果としてたまたま心を持ってしまった人間が、苦悩から逃れられないのは仕方がないことかもしれません。(このテーマは、伊藤計劃の『ハーモニー』に繋がっているのかな。)
ところで、もし、世の中に一人でも〈怪物〉を受け入れてくれる人がいたならば、〈怪物〉は〈怪物〉ではなくなることができたのでしょうか?
もし、それを書いていたとしたら本書はまったく違う物語になってしまうので、メアリ・シェリーはそれを選ばなかったということなのですが、空想としては興味深い分岐点だと思います。
なお、解説では『ブレードランナー』とフランケンシュタインの関係が指摘されていますが、そうだったのかと思わず膝を打ちました。
2002年10月14日に日本でレビュー済み
「人間は科学を通じてどこまで神の領域に近づけるのか?
そしてその科学の進歩は人間にとって幸福をもたらすのか?」
この小説は現代人に対してこの命題を突きつけているのではないだろうか?
生命の創造という神の摂理に反するともいえる所業に成功したフランケンシュタイン。しかし成功と引き換えにどうしようもない破滅に向かっていく。
現代科学においてはDNAの組み替え、クローン生物の創造といった事はもはや不可能ではない。しかしそれによる弊害も既に出てきている。
19世紀に書かれた小説ではあるが21世紀を生きる我々が真剣に考えるべきテーマを暗示してくれている小説である。
「フランシュタイン」を単なるホラー物、恐怖物だと思っている方には是非おすすめ。
ちなみにロバート・デ・ニーロが怪物役を演じている映画も秀逸。
そしてその科学の進歩は人間にとって幸福をもたらすのか?」
この小説は現代人に対してこの命題を突きつけているのではないだろうか?
生命の創造という神の摂理に反するともいえる所業に成功したフランケンシュタイン。しかし成功と引き換えにどうしようもない破滅に向かっていく。
現代科学においてはDNAの組み替え、クローン生物の創造といった事はもはや不可能ではない。しかしそれによる弊害も既に出てきている。
19世紀に書かれた小説ではあるが21世紀を生きる我々が真剣に考えるべきテーマを暗示してくれている小説である。
「フランシュタイン」を単なるホラー物、恐怖物だと思っている方には是非おすすめ。
ちなみにロバート・デ・ニーロが怪物役を演じている映画も秀逸。
2014年1月23日に日本でレビュー済み
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怖いですけど、本当にジワジワ~っと来ます。恐怖が・・・最初は普通の小説風ですが、一筋縄ではいかない感じです。