乳がん

「がんサバイバー」という言葉に感じる違和感

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実は、「サバイバー」って言葉があんまり好きじゃないんですね。

乳がんの世界に足を踏み入れて、衝撃を受けたのがこの「サバイバー」って言葉でした。

なんで好きじゃないんでしょうね。考えてみます。

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「生き伸びた感」が強い。

サバイバーって言葉を聞くと、ジャングルでの野生生活を、数ある危険を乗り越えて生き延びたってイメージがわきました。ターザン的な。

もう満身創痍。

がんだって、こんなイメージなんでしょうね。人を死に至らしめる病。

そこからの生還=サバイブ。

がんと診断されたときの私は、「サバイバー」という言葉から、強さとか、立ち向かっていることを誇張している感じを受けました。

「私、闘ってます!」

完全にがんをモンスター化させていますよね。敵とみなしている。

あのー、私はそんなチャレンジしたくてしてるわけでもなし、受け入れられないままただついて行ってるだけなんですよ。

そんな大してえらいわけでも何でもないんですよ。

世の中で明らかに悪いこととしてとらえられているものを、無理やり美化するような言葉に感じていましたね。

もちろん、あとからこの体験に感謝することだってあるかもしれないけど。

「サバイバー」という肩書きは、いつまでも持ち続けられる

一度がんになったことがあるなら、「〇〇がんサバイバー」という肩書きは、一生使うことができます。

「がん患者」だと、なんか治療中だけの感じ。若干同情を誘う。

治療が終わって、普通の人と何ら変わらない健康状態に戻った人は、「がん患者」を卒業して、「サバイバー」って名乗れる。

その時、初めて周りの目が、同情や心配ではなく、尊敬や経歴に変わる。

ずーっとそのアイデンティティを持ち続けられる。

私も感じるところですが、なんの特技も専門性もない平凡な人間には、「がんサバイバー」てのは、格好の肩書きなんです。

この肩書きを使えば、本も出せるかもしれないし、セミナーとかに呼ばれちゃうかもしれない。

闘病真っ最中のときは、自分を売りたい感、経験を活かしたい感が垣間見えて、うらやましさ半分、妬み半分で見てました。

がん患者同士でも相いれない部分がたくさんある

ここまで読んでわかるように、闘病中の私は、妬み、憎しみ、苦しみがたくさんありました。

なんで私が、、、何百回思ったかしれません。

そんなときには、がんじゃない人たちとの比較のみならず、

たとえ同じ乳がんの人でも、ステージが違う、がんのタイプが違う、術式が違う、

そのような違いによって比較して、自分を哀れんだり、逆に安どしたりして、そのたびに自分の器の小ささ、心の醜さに苦しんだものです。

あの人はステージ1だから、まだいいじゃない。

あの人は子どもがいるんだからいいじゃない。

ホルモン剤5年?妊娠できないかもしれない。

私は抗がん剤が効くタイプでよかった。

私は温存療法にしてよかった。

そんな葛藤の中で「サバイバー」としてキラキラ生きている人たちは、とっても遠い存在でした。

この経験を強みにできなかったら、ずーっと、社会的弱者なのかな。

私は、ずーっと、これを背負って生きていくのかな。

今や自分でも使っている

自分も、術後4年が過ぎて、いまだホルモン療法は続いているものの、3か月に一回通院するだけになりました。

ブログを書くにあたり、やっぱりこの体験は、私にとっての特別だったんですね。

否応なしに命に向き合い、しんどいことがあっても乗り越えたわけですから。

それを生かして何かしようというより、もう、今の自分が変わった(ニートにですが)土台の体験となっているので、これに触れないわけにはいかない。

書きたくなっちゃったわけです。

わかりやすいので、「サバイバー」って言葉を自分も使わせていただいてます。

いまやみてほしいという気持ちは多大にあります。

まぁ、闘病ブログはたっくさんあるけど、元気になった人が、その体験を追想してるのは、あまり見かけないので、

世の中に割と潜んでるがんサバイバーの日常として、読んでいただければさいわいです。

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